こんにちは、たけです。
今回は、人生の話をします。人生の話は楽しいですからね。
なぜ働かなければならないのか
親が地主とかオーナー社長だとか、そんな環境にない限り、我々は生きていく為に働かなければなりません。
ではそもそも何の為に生きるのかというと、それはタバコを吸ったりセ○○○したりキャンプをしたりライブに行ったり美味しい物を食べる為です。これらは労働への対価として得たお金、の対価として得られる娯楽ですね。
生きていくだけでもお金がかかるので、必要経費を賄った後に残る僅かなお金の範囲で楽しまなければなりません。
人生において仕事の占めるウェイト
皆さんも絶対に感じた事があると思いますが、仕事にかける情熱・姿勢・責任感といったものは、人によっててんでバラバラです。
志ある起業家と、彼に激しく賛同する仲間たちからなるベンチャー企業であればそれらもある程度統一されているでしょうが、少なくとも僕が勤めている某東証一部上場企業においても、人によってバラバラです。
僕の部署でも、仕事を進める中での意見の食い違い等で熱くなって上司や同僚と本気の言い争いをしている人がいます。
そういう彼らが生み出す成果物というのは往々にしてクオリティが高く、企画にしても何にしてもこれよくここまで形にできたな…苦労しただろうな…と感じさせるような物が多いです。
そして、僕は時折思います。
(俺は、そこまで仕事に熱くなれないわ…)
ここでは、上記のような人を、人生において仕事の占めるウェイトが大きい人と定義付けます。
人生において仕事の占めるウェイトが大きい人の傾向
- 仕事ができる (馬力がある)
- 社会情勢に詳しい
- 社外の友達が少ない
- 食に無頓着
- 趣味(服,音楽etc.)は王道を好み脇道に逸れない
あくまでも傾向ですが、僕の周りのサンプルの傾向を総合するとこうなります。
自分がこっちではないので、人間の性で悪い所に目がいっているというのも多少あるかもしれません。
人生において仕事の占めるウェイトが大きい天邪鬼な嫌われ者
僕の同僚に、天邪鬼な嫌われ者がいます。
彼は仕事ができます。たまに露呈するお茶目なところを見るに、地頭は普通レベルだと思います。でも彼はビジネス本を読み、偉人達に学び、社会の動きにアンテナを張っています。そして元々持っている営業センスもあります。
しかし、彼の性格には、はっきり言って難があります。
自分の言動で他人がどう思うかとかを考えられません。いやむしろ、不愉快に思うことを分かっていながらあえてそのような言い方をする節もあります。
上司には問題児扱いされ、後輩には尋常じゃない程辛く当たり、同期の理不尽なマウンティングや誹謗中傷。何冠王でしょうか。
そして上述した傾向に当てはまります。
「社外の友達が少ない」という項に関して言えば、「社内外に友達がほとんどいない」というレベルです。
“仕事である以上………”
僕は彼と、彼が嫌われ者である事も踏まえて飲みながら話をした事があります。
彼が言ったのは、「全然考えてない奴と仕事すると本当にイラつく」という事でした。
簡単に言うと、「あいつもっとちゃんとやるべきだろ」という類のやつです。
この人たちの多くは、我々同様に「人生において仕事の占めるウェイトが小さい人」と言い換えることができるかもしれません。この時具体的に槍玉に挙げられていた後輩は間違いなくこれあたります。
そこで僕は、
「仕事への姿勢も人それぞれなのは分かるよな?残念だけど、お前ほど一生懸命になれる人間はうちの会社にはそんなに多くないぞ。そうするとお前の思い通りに動いてくれないこともあるよな。」
という旨の事を言いました。
それに対する返答が、
「仕事である以上俺が正義。」
天邪鬼な嫌われ者
でした。
(彼の場合は無用の争いを生み、無駄に嫌われる節があるので、もっとうまいやり方が絶対にありますが) 嫌われようが何しようが、仕事のために自分が正しいと思うことを貫くという彼の生き方を垣間見ました。
自分はどれくらいのウェイトでやっていくのか
これが僕にとって永遠のテーマです。
基本的には、人生において仕事の占めるウェイトは小さいという認識でこれまでやってきました。
しかし、仕事によって失った物もあります。時間・地元・友人との時間。
幸いにも、趣味に関するものを仕事にして、その中で心底しびれるような瞬間を味わったり、この仕事をしていて良かったと思えるような体験をする事もしばしばあります。
英語や海外など縁の無かった所から、出張で年何回も海外に行き、英語で仕事をし、海外に住んで仕事をする所まで来て、世界は確実に広がっています。
でも、本当にこれが自分の人生なのか、時々分からなくなります。
まだ先は長いです。ゆっくり時間をかけて、人生において仕事の占めるウェイトが最適な人になりたいと思っています。
要は
なんか辛気臭くなりましたが、要は
仕事しててちょっと辛いとかこれやりたくないとか思ったら「いや、俺そこまで人生において仕事の占めるウェイト大きくないし…」で逃げている部分もあるし、仕事できる人を見たときの精神安定剤的なものになっている節があるという事です。
人生ですね。