正月休みに地元のチェーン居酒屋に入った。お通しの惣菜をつまみながら友人の結婚話を聞く。年末の忘年会で使った新宿の居酒屋よりも、全てのメニューが200円以上安い。
東京はただ人がいっぱいいるだけなのに、物価は高い。
しかも東京地元民はあんまり居ない。みんな地方出身者だ。
以前某所に載せた文章だけど、ちょうど良い機会なので記事にする。
視野の広い人
たびたび「狭い地元の人間関係より、都会に出て視野を広げたほうが良い」という事が話題になる。
学生時代のヒエラルキーをいつまでも引きずり、社会的地位に関係なく蔑まれたりするような場所に居ても意味がないという。確かにそれはそうだ。
でも、視野が広がったからと言ってどうするんだろう。その視野を活かせるだけの能力が自分にあるんだろうか。いくら目に見える場所がぐっと増えても、自分の手の届く範囲は決められている。
そういった人らは、冬の時期みんな決まりきって「成人式には行かなかった」という話をしている。伝統行事の意味の無さを、居酒屋メニュー200円分広がった視野で話している。僕には「あの時の自分は間違ってなかった」と毎年毎年、自分に言い聞かせているように見える。
地に足がついている人
手の届く範囲しか知らない事は、外から見れば一見しょうもなく映るかも知れない。
でもその方が確実に幸福度は高い。そういった「地元の人」は、ある意味セルフコントロールが出来ているとも言える。身の丈に合った幸福を、身の丈に合った方法で手に入れている。何を幸せと思うかは人によって違うのだ。
地に足がついているとはそういう事だろう。
「東京に出てきた」といっても、ただ関東地方の一部に引っ越しただけである。それだけで自分の能力が上がるわけがない。視野が広がるというのは、同時に幸福のハードルが上がるという事もあるのだ。
本当に地元の人間と価値観が合わないと思っているなら、都会へ出てくると良いと思う。
何かに特化しているが地元ではそれを活かしきれない人や、様々なマイノリティにとって優しいのが都会だ。都会に出る事で救われた人を何人も知っている。
が、元々地元でゆっくり暮らした方が良いレベルだった自分が可視化されてしまい、絶望した人も何人も知っている。
かっこいい人とおもしろい人
今のところは東京で好きな仕事をやれている。平日だろうが休日だろうが深夜に駄文を書けるような環境で自由を謳歌している。
気になった物はすぐに手に入る。気になったイベントには電車1本で行ける。信じられないほど能力が高い人間にも、とてつもなく変な人間にも会える。人が多いからいろんな物が集まる。
こんな事は地元に住んでいたら絶対出来なかっただろう。
でもそんな空疎な自由よりも、地に足をつけて家族を守ると決めた人の方がよっぽど立派で格好良いと思う。
自分が出来ていない事を出来る人は素直に尊敬する。
どうしても、地に足をつける事が出来ない人も居る。
「かといって、地元に居たところで自分はちゃんとした家族作れるか?」
「地元で何かやりたいことあるのか?」
「そもそも地元でもろくな人生送れてないじゃん。どうせろくな人生じゃないならばいっそ、もっと楽しく生きたいなー。」
こんな事がよぎるヤツだ。学生末期の僕だ。
そんなヤツはとっとと地に足つけるの諦めて、東京に来い!!
幸福になれるかどうかは知らんけど、面白いのは確かだ!
※もともとこの文章は、東京暮らしに飽きていた2018年1月頃に書かれたもの。文章の一部や 『自分が出来ていない事を出来る人は素直に尊敬する~』以降のパートは加筆修正した。生活の楽しさなんて所詮はコロコロ変わる。まさに人生。